こわれたおもちゃをだきあげて

この国の秩序らしきものは一般国民の「積極的に知ろうとしない態度」によって保たれている。 メディアは国民の「積極的に知ろうとしない態度」につけこんでマインドコントロールをしている……

1945年への道さま


文中の「混ぜ物危険」とは!まさに我が意を得たりです。

たとえばワイドショー、バラエティーショー、ニュースショーなどの番組形式。
たとえばメディアミックスと呼ばれる広告手法。

ニュースは速報性を大切にし
注目の事案は特集番組として深く掘る

このやり方で良かったのだと思います。
ニュース枠の中で、権力の動向と災害と同列に芸能やスポーツ、健康に関することや、広告まがいの事案を扱い混ぜものにする。

思えば、私の子どもの頃のテレビは天気予報でさえニュース枠とは別にしていたと思います。
そのあたりの線引きは厳格でした。

良いかわるいかは別にして「標準語」に対するこだわりもハンパなく、アナウンサーのプライドはまさにそこで保証していたともいえるほどです。(生きた日本語という意味では議論百出だと思いますが)

標準原器をしっかりさせよう、守ろうという気持ち、気概が40年前くらいは強かったのだと思います。そういう意味では今のドイツと同じように先の大戦のことを冷静に見つめようとしていたのだと思います。そしてあんな悲惨なことにはもうあいたくないし、あわせたくもない。
ですが常にそれは批判にさらされ、破壊され、あたらしいものの勃興と競い合い鍛え上げられなければならないのです。
人の営みの中でそれは畢竟。
が、おそらく七十年代終盤から八十年代中盤までのパンクムーブメントと共にやってきた「笑い」と「明るさ」を強く求める様々なサブカルによって戦後的なものが破壊されたのではないかと思います。
そしてそれは「破壊され過ぎた」のではないかと思います。

今、過度な反省に基づく自虐史観などという言い方をして戦後、戦前の日本のことを省みて、ドイツ国民のように「同化すること」に「付和雷同」することに極めて注意深くあった考えを否定し、一種の外部に敵を見出し、攻撃、排除することで、スッキリとカタルシスを得る方向の論壇が台頭していますが、その成り立ちなど多分に人工的な感も否めなくはないと考えています。 
人工的な匂いがあるが故に、再度の揺り戻しが起きてもおかしくはないと思いますが、富の再分配を阻み、社会に差別をもたらす風潮を喧伝しそのことで一儲けを企むものが跋扈する世の中になってきたので、揺り戻しは「チカラ」でもってなかったことにされています。

「チカラ」に抗うにはやはり「心」だと思います。

「心」を取り戻すには「芸術―Art」だと思います。

一瞬の「時」を感ずることで、あっという間に我に返る。
茶の湯を楽しむことで一時の平穏を、永遠の一瞬を得たのだろうと思います。
一幅の絵に出会うことで時と場所を越えてその作家と出会う。
劇場で一人の俳優に立ち会うことで、その時代、立場、匂いを想う。
アートを感受できる感性を育てることが、希望に繋がると思います。





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