こわれたおもちゃをだきあげて

この国の秩序らしきものは一般国民の「積極的に知ろうとしない態度」によって保たれている。 メディアは国民の「積極的に知ろうとしない態度」につけこんでマインドコントロールをしている……

ホントに忙しい。そして、ホントにカネにならない(笑)
いや笑い事ではないのだけれど、でも、あってもなくても良いけど、あったほうがタメになることは「儲からない」ように仕組まれているという、そういう「仕掛け」はあちこちで実感しますね。

例えば、脈絡はハショりますが、「教師がムダに忙しい」こと・・・いや、もうこれはブラック企業がどうとか、公務員年金がどうとかという問題ではなく単純に一日二四時間しかないのに、それはないでしょう・・・というくらい忙しい。
ではワークシェアすればいいでしょうとなるのですが、そこには色々壁があり、実際シェアするような制度を作っても極端な奴隷的な賃金差別が発生してしまう。

また例えば、非正規労働の中間搾取のひどさ。搾取といっても、もともとの金額が小さいので、どっちにしてもどうしようにもならない。
つまり福利厚生や福祉の削減がもたらすパイの奪い合い。
アベらは意図的にやっているのだと思います。

アベ的な福祉は「儲かる」「win-win」な使える福祉企業体です。
これの究極は、現代の蟹工船→「私立刑務所」と「カジノ」にたどり着くと思うんですが・・・

simatyan2のブログさま

simatyan2のブログ
また4万円の負担! トランプ騒動の陰で画策される悪巧み
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12220908461.html



もはやマスコミの「逆張り」で世の中をみることが己の身を守ることに繋がるといっていいでしょう。

つまりこれ、朝日がーとか読売がーとかではなく、これらはポジションを変えているだけで、基本は「マスコミ幇間」どもが、まさに身を挺して、英語の分からない国民の前で、踊っている?ということですね。
問題はその「踊り方」です。
アクロバティックに踊れば踊るほどインセンティブが跳ね上がる????ってわけでもないでしょうが、度が過ぎるヒトは、出てくるものです。

先日のBLOGOSの記事の深掘りをしているリテラさん。

リテラ
「毎晩声をあげて…」安倍首相のオカルト行動を昭恵夫人が証言! 慧光塾や池口恵観の“お告げ政治”がいまも?
http://lite-ra.com/2016/11/post-2714.html



アベの「媚米」「日本叩き売り」「福祉カット」「貧困製造」「我が軍」「国会バラエティ化」「詭弁」「恫喝」「被災地パフォーマンス」「言うこと聞かない」・・・全部腑に落ちるのです。
オカルティックなアベらは 「信念」一発で、書いてあることをそのとおり読まない。
裏を読み曲解し詭弁をひねり出す。
これね・・・政治家や官吏は、相手にしているのが「芸術」じゃなく「法律」なのでね・・・成文や正文を相手にしているからには、書いてあることを、まずは「超訳しない」ことが求められますね。ちゃんと書いてあるとおりにやればいいはずなのに「解釈」を入れるわけですよ。

でも私たちのような庶民にとっては「想像力」は失ってはならない美徳の一つです。
殊、権力者の発信の事柄に触れる場合にこそ、私たちは、裏を読み、状況を見、判断する、予測するチカラをもって武装しておくことが必要です。

こういうとき「演劇」は役に立つと思います。
特に演劇鑑賞は使える。
劇場にいって、席を確保し、娯楽として同化する時間を得るのも、まぁいいものです。

ですが、そういうものではなく、上演されるもののその表面から裏、さらに奥深くを「読む」チカラをもつ事の方が重要です。
演劇鑑賞においてのそれは特に重要といえると思います。
芸としておもしろくすぐれたものを創作する能力のみが重要なように思われますが、実は、演劇作品を演劇作品たらしめているのはその作品を読む能力の方にこそ極意があるのです。
つまり、最終的には「お客様」が、その演劇の価値をきめるのです。
というか、その作品を通して、意図や背景を「読む」事の面白さに気づくと断然、心が豊かになりますし、文化度が上がるのです。

もちろんお客様がその作品をどう読もうがそれは自由です。
ただこれは単なる耽美と言うことではないのです。
このような世の中で起きる謀の裏を「読み取る」訓練になるのです。

もちろん正解はありません。
今のような時代だからこその「使い方」があるのです。

絵空事をいかにも絵空事のようにやる、技術の巧拙もあるでしょう。見事な映像作品のそれに比べれば、劣るところもあるかも知れません。でもそれは少し横に置き、これを見ている自分の想像力に問うてみるのです。
たとえば、このホントは生きている「死体の役」のヒトの行為を「死んでいる」として納得し置いてみるのです。
くれぐれもその巧拙は横に置くのです。
そのうえで、語れるセリフや行われる演技の示すことを重ねてみると、「・・・ん?これは・・・」と気づく事があるのです。
このあたりの感覚は、とくに職業演劇ではなく、職場演劇的なものや学生演劇的なものからこそ読み取ることが多い気がします。
アマチュアのそれは、だからこそ尊いのです。
芸事は本当は、技巧や技法を習得するときに平行して、哲学や政治が人々に及ぼす影響、歴史などを学んだ方がいいと思います。
技巧だけが上手になってもお前はそれでなにを言いたいのだ?という己の問題意識が問われることになるからです。
権力は狡猾で残忍です。特にオカルティックなものが上位にいる場合は始末に悪いものです。

観劇行為はすなわち「ショックドクトリン」を意図的に見に行く行為です。
舞台上で、瞬間瞬間起こされる、衝撃的な演技、あるいは「衝撃」を意図している演技、もしかすると企図していることとはズレが生じているかも知れない事柄など、同時空で繰り広げられることの裏を読むチカラ「想像力」をきたえていくのです。




このページのトップへ

FC2Ad

Information

Search

Calendar

03月 « 2017年04月 » 05月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

 

原発反対

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

最近の記事

カテゴリー

月別アーカイブ

フリーエリア

  1. 無料アクセス解析