こわれたおもちゃをだきあげて

この国の秩序らしきものは一般国民の「積極的に知ろうとしない態度」によって保たれている。 メディアは国民の「積極的に知ろうとしない態度」につけこんでマインドコントロールをしている……

ソーントン・ワイルダー氏の舞台上で「時間を圧縮し、振り返る」アイディアも、サミュエル・ベケット氏の「待っている行為」を舞台に上げるというのも、もの凄い発明だったと思うけれども、北村想氏の「寿歌」も、もの凄い発明だと思う。
僭越ながら、ひとことで言うなら舞台上に「あとのまつり」をのせてみるという行為。

「肝心なことは全て終わったところ」からの物語。

全て終わり、一度ゼロになったか、ゼロ以前になった。
そこで目ざめを約束されたものが目ざめ、追憶とともに旅をする。
やがて追憶とも別れ、目ざめを約束されたものは希望に向かわざるをえない。
もちろんなにを感じるかは観るもの次第であるのですが。

終わってからの選挙特番って、なんなんでしょう。ふと、「寿歌」のことを思いました。


自分も選挙で投じた票が、選挙区は死に票になったが、比例は届いたようで。
半分はよかった。

今回はシコミはなかったと思いたい・・・。


しかし案の定、おわったら、いいだした。

か○け○

これからは意識的な人は本当にタフになる。
「しんがり」を務めるつもりで、生きるための活動と、今の売国の世に棹さすための方策をとらなければならない。

でも、いざというときがきたら、いつでも、政(まつりごと)のための活動を横に置いて、生きるために脱出できるように準備をしつつ・・・


じわじわと、生きにくくなる。


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