金沢のアマチュア演劇の可能性
希有な施設、ドラマ工房の沿革や変遷について考えている。まずは温故知新。なるほど「深い」。が、初期の設定はあくまで東京基準のカウンターな感じにもみえる。それも欧米直輸入。たまたまそれを仕掛けたい人がいて、たまたまそれが金沢だったってことかもしれない。実験場。故に金沢の演劇事情にはフィットしなかった面があるようにも思う。それではその実験は終わったのか?いやそんなことはない!と思う。むしろ、これからなのだと考える。ドラマ工房という、この愛すべき曖昧な特異点が降ってきてから、時が経ち、利用者自身がその「意味」を考え直す時期が来たのだと思う。それはとりもなおさず「金沢市から市民へ演劇を通しての市民サービスの代行」であり、それを「市民自身に任せた行政の度量」のことを再認識することから始まると思う。これと折り合いをつけながら金沢市民でもある金沢の演劇を愛好する人たちが、なにを差し出し、なにを得るのかということを、今一度考える。 乗り越えるカギは、利害、恩讐を横に置くこと、民主主義的ではあるが民主主義的でありすぎるとまたその本質から遠ざかるという奇妙な状態に陥る現象を乗り越えることかとは思う。

(今後、追記あり)
[2013/12/21 15:59] | シバイ | page top
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