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少し振り返ってみる①・劇端会議・演劇コレクション「自動販売機」
少し振り返ってみる①・劇端会議・演劇コレクション「自動販売機」


皆さんの熱意と創意工夫のおかげで、劇端会議・演劇コレクション「自動販売機」は金沢市民芸術村ドラマ工房での日程を終えることができました。

日程的には5分の4が過ぎました。
残り一日、野々市市文化会館フォルテでの2月3日(日)17時からを残すのみです。
まだ「祭」の途中ですが、軽く一言二言申し述べます……。

まず携わった皆さんのモチベーションの高さには目を見張るものがあります。もうホントにやる気にさせられるのです、こっちが(笑)。

あと、芝居づくりそのものもそうですが、運営もホントに自動で(笑)……冗談ではなく自動的に持ち場が決められ……多分、初めてその現場に立ち会った初心者の人も、ベテランや経験者から自動的に指示が伝わり、また勘の鋭い人はそれを感じ取って、そうでない人もそれなりに、それこそあっという間に皆その役割を全うしているのです。

これはやはりこの街には芝居をやるノウハウをもった人が育っている証拠であり、そういうノウハウ(無形文化財)が生き残り、根付いている証拠であり、その意味に於いて当初、金沢市民芸術村が謳っていた理念、また古くは演団連の合同公演、現かなざわ演劇人協会各種演劇祭などの運営上培ってきたノウハウの継承、すなわち歴史の積み上げがあったればこその現象ではないかと類推し、また、実感しています。

演劇というのは、まさに総合芸術(最近の教育機関の文化部活動分野では、なぜか日陰に追いやられているのですが)としてあらゆるものを内包できる文化の王道です。とはいえ「総合」と名がつくものはだいたい、まぁいろいろと面倒くさいものです。 ましてや仕事をし、子どもを育てながら、親の面倒を見ながら、そのうえに芝居を続ける、観るなどということは「超面倒」でしょう。 でも、私はそういう「人生の繁忙期」にいて「言葉では表せない釈然としないなにか」をかかえているとき、そんなときにこそ「演劇」を使ってほしいと思っていますし、近隣の市民が組織する芝居は意外に「使える」と思っています。

特に金沢のような人口規模の地方都市に於いてのそれは、中央のショウビジネス的なものはほとんどなく(ショウビジネスが地方都市にフィットするかどうかは置いておいて……: 例えは少しズレますが、今はフィルムコミッションなどが中央のプロダクションと結んで映画やドラマ、アニメを展開するモデルができあがっていますね)メディアにしても北陸で独自にテレビドラマが制作されたためしなど(あるにはあるけど)、ほとんど見受けられない。……ハード、ソフト両面に渡って膨大な問題と時間を乗り越え続ける覚悟と体力、財力がいる。だから「フィクション」を作り出して「世に問う」「世に出す」という発想すら地方都市では起きない。ある意味途方もなくそれは「遠いもの」になっています。

でも、ちょっと「板」の上の工夫をすれば、生活をしながら、自分の時間を持ちながら一年うちのある時期だけぎゅっとそういう「フィクション」の時間を持つという「冒険」「楽しみ」を持つことはできる。 また、その「板」にのっている「虚構」を観て楽しむコツを知れば、人生における「一息のいれ方」をもう一つ得ることになる。

とんでもない時代に入ってしまった今だからこそ、「板」の上のことを楽しむ意味が出てきていると思います。



ドラマ工房でのアフタートーク(まさに劇端会議!)の時の、ある重鎮の「芝居はみるものじゃなくてやるものだな……以上!」という言葉が重金属のように重く響きました。その重鎮は劇団べれゑ!そう「べれゑ」といえば金沢の学生演劇の草分け!金美大のべれゑ! うれしかったねぇ。
学生達よせめて金沢に居る間、忙しくなる前の2年くらいだけでも劇端会議にふれて「市民俳優」になってみたらどうだろう。

さぁ!蘇るが良い!市民俳優達よ!文字通り「板」の上を通りすがるのだ!
市民俳優がその姿を曝すとき、心は動くだろうか!
そして観客よ!情報社会から一時でも切り離れ、劇場に逃げ込め!
そして刮目してみよ!そして注意を怠るな、探索せよぉぉぉ!



って感じに留めておかないと、ここんとこ血圧が上がってしんどいんだよね(笑)
[2013/01/29 14:01] | シバイ | page top
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