胸いっぱいのメタファーを①(いしかわ演劇祭2011の雑感・感想文のようなものですね。)
D.D.D.「ヒトリズム」

ライヒが比較的多く選曲されていた印象がある。
それ以外の振り付けにもミニマルミュージック的なものが多く感じられたし、ハンドクラッピングもライヒ=オマージュ。
LAVITさんはライヒに触発されたのだろう。
そういえば民族音楽のアカペラ独唱は世界がかわった感じがして面白かった。
LAVITさんは歌もやるんだってことで、自由すぎるよ!LAVITさん!。

ってことで スティーブ・ライヒといえばミニマルミュージックの先駆者、押しも押されぬ大御所。
ミニマリズムと言えば物事を最小のものまで突き詰め本質に迫ろうとする考え方。

音楽の場合これが「リフレイン-繰り返し」となっておこる。
「リフレイン-繰り返し」でおきるグルーブ感に、何小節かに一つづつ音符の一部をずらすなどの仕掛けを施し、時にはプレイヤーの人的ミスをも即興的に取り込んでズレを起こし、そこにおもしろさを見出そうとする作品もあった。
ライヒの試みは商業的成功も伴っている、おびただしい数のCDやYoutube映像が存在している。

最小単位の「リフレイン-繰り返し」というのはロックやテクノなどとの親和性が高く意外なミュージシャンのトリビュートものも数多くある。ミニマルという“気づき”は膨大に増殖した。

最小のものが世界を覆う・・・考えてみればすごいイメージだ。

でも、そういうことだ、世界は最小のものでできている。

もちろんダンスの分野にもミニマルと呼ばれるものがあることは周知の事実。

さて舞台は、神のような、巫女のような、白いコスチュームの6人が「ふるさと」をBGMに瓦礫の中から箱(パンドラの箱)を取り出す。
そのイメージを残したあと、断片的に現在の時空を比喩するパフォーマンスが続く。
しまいにはその毒にやられてしまった「具象」な感じをほおりだす。
再びその箱を元に戻すイメージもあるが、戻したのだろうか?戻せるのだろうか?その箱は・・・。
最後はアンコールがかかって大団円。楽しいショウになった。

自分にはこういう作品としてのストーリー性よりも、D.D.D.が本当に目指していたのは身体性、そして少しの偶発性のおもしろさなのではと思えました。 即興と偶発性一杯の稽古場から産み落とされた「ヒトリズム」を観客の前で解き放ち、6人の目でその行き先を見届けてみたかったのではないだろうか。

当日はLAVITさんはもちろん、いまるまるの松田さんがよかった。最も自由な感じがした。
対局として金津さんの肉体に想像力を感じた。
いまるまるのなかむらさんは全体のバランスを取る役割に徹していたのかも知れないが、伸びやかでありつつ抑制した感じがよかった。そういう意味では、LAVITさんをフロントに置き、なかむらさんをアンカーに据えおけこさん金山さんを含めたヘキサゴン・バランスの舞台だったのかも知れない。
そしてそれは成功している。

ところで「いまるまる」さんの「まる」はミニマルの意味をもたぶん内包しているよね、きっと、と、勝手に思っている。

いしかわ演劇祭2011Aプログラム 2011/10/28
D.D.D.「ヒトリズム」
【振付】 LAVIT
【出演】 LAVIT、松田百世、なかむらくるみ、おけこ、金津敦子、金山古都美
[2011/11/05 11:30] | シバイ | page top
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