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第七劇場初見
世界に日本語という言葉の壁がある日本の演劇がどう割って入っていくのか?と考えたとき、なるほどこれは言葉を超えるなぁ。そんな第一印象。

第七劇場 / Dainanagekijo かもめ
http://dainanagekijo.org/


人の世はいつの時代も必ずどこか病んでいる。その病に気づき、病を糧にし生き延びた“作品”が必要だ。第七劇場は、その有用な“作品”を生み出している集団のひとつだと思う。


2011/09/08 シアタートラム。第七劇場「かもめ」

チェーホフのかもめを煎じ詰め、注意深く大胆に本質を切り出し、解体再構築したパフォーマンス。
一口に括ってしまえばそうなのだが、一風変わっているだけでは済まない“気づき”と“揺さぶり”がセンス良く仕組まれている。
言葉(よくわかる言葉)は二〇%ほど。ほとんどは視覚であり、空気に漂う関係性であり、音や声が支配する。
観る者がひとたび心を開き受け入れる事を許すと、第七劇場は舞台上からその脳内へと侵入し、過去と未来の記憶へと伝播しグルングルン掻き回し、淀みを発見し潜む。観る者は知らずに感染する。キャリアになる。

鳴海康平氏のものの見方はある一線を越えたところにいる、と思う。
それは“徳の高い”AMラジオのようだ。

ラジオはあらゆる周波数帯の搬送波にのっている信号をダブルスーパーへテロダイン方式のチューニング方式で搬送波に対し受信側からも電波、それぞれの中間周波数をあて、捕らえ検波し、再現する。

しかもそのラジオは徳の高いラジオなので搬送波にのっている信号の本質をつかみだしてくれる。
この本質をというところがくせ者で、鳴海康平の目線と置き換えてくれるとした方がしっくり来る。

第七劇場を観に行く。
客席に座る。
観劇のスイッチが入る。
チューニングがあってくる。
聞こえてくる言葉や音楽。“間”がこちらのそれとは微妙に違う違和感。
この違和感はどこかで感じたような・・・記憶をたどっていく。
不意に、舞台上がカオスになっている事に気づく。
身を任せてみる。
その前の時間とは違い登場人物の関係性が深くなったり粗野になったり・・・。
凝縮し濃く々々煎じた“かもめエキス”
それがまどろっこしい演劇の手順をすっ飛ばしダイレクトに突っ込んでくる。
この古典戯曲の去勢されてない本質をそこに放り出す。

チェーホフのかもめ、それは人間のことに迫っていますが・・・私たちはかもめをそう感じそう捉えました、どうでしょう?と提示された感じがする。

そしてそれは何人もの鳴海康平が本当に注意深く脈絡の穴を埋め、比喩の遠い近いを検討し、俳優のバランス、オブジェの配置角度に至るまでを調整し尽くし、提示した“作品”として。

かもめ第二幕はこの“作品”に感染した我々の中から起こるのだ。
第七劇場キャリアとなった我々の中から。

もちろん俳優の質、理解度、志気、スタッフワークの手際・・・どれをとっても脂がのった旬な感じ。
儚いよ舞台は!
今、観ておかないといけない気がする。

9.11までやっているようです。機会があれば是非!ご覧ください。
[2011/09/09 12:48] | シバイ | page top
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