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金沢でみた「天才脚本家」という芝居
この芝居は足を運んで観たほうがいいと思います。
表現集団tone!tone!tone!「天才脚本家」。
金沢の声優プロダクションを母体とする演劇をするカンパニーです。
今日と明日やっています。
金沢市民芸術村ドラマ工房です。
多分、人はこれをみていろいろいうと思います。
それも確かにそうだけど、実はそういうことじゃないのでは?という視点から述べて見てみようと思います。

表現をする衝動に駆られて舞台に立つ。
それをみて囃すお友達やご家族ご親戚、有縁の方達だろうか。そんな観客が集まり、その舞台と出会う、そんな様子。
まずそのことが素晴らしい。
そしてその内容がまさに「今」を描こうとしている。2001年に書かれたものなので正確には今ではないのですが内容は極めて「今」。ホントに見事に「今」です。

国家に大きなウソをつかれると一般の人は虚を突かれ、ただその様子を傍観し、やり過ごしてしまう。スズメバチに襲われたミツバチの巣箱状態です。ショックドクトリンです。

脚本はこの国の現状を、人々がマスコミ・広告代理店により肝心なことから目を逸らされ、コントロールされ、その裏で操るもの(官僚/米国)が人々からしたたり落ちる果実をかすめ取るという様子をいくつかのヒーローものの鋳型を借りて活劇の形の寓話仕立てにし、まるごと描こうとしています。この辺りが2001年的です。娯楽映画へのオマージュも感じます。
しかし脚本は、実はこのファンタジーの形をとったところに、腰が退けた感じ……少し意地悪く言えば、観客との距離感に対する一種の“照れ”のようなものが見て取れるようなのですが……まさに今これを発想すると、もっとストレートなものになるのかもしれません。

芝居は素人であれ、玄人であれ資金0円では出来ません。
専門にやっているワケじゃない人たちの集まりの場合でもかかるものはかかる。
プロが4000~10000円くらいのチケットを発行する現状です。
「趣味」だからといってそれを全て自己資金でまかなうのは実はあまり適っていない。
劇する行為は趣味でアレなんでアレ社会的行為になるので、舞台が起つ毎に観客という共犯者を求めている行為とでもいいますか……あまり言葉は良くないですね。
金額の多寡はあるにせよ集まったお客様からお代を頂戴し興行を成り立たせる努力をするものです。

さて、このtone!tone!tone!の「天才脚本家」という芝居。
舞台は手作り感一ぱいです。
多分、練習にもの凄く時間を掛けたであろう舞台転換。
いろいろサービスしているのに、それなのに、ここというところで押しきれない、ああ、もどかしい、というのも、ご愛敬(笑)な素人っぽさ。
でも、いいんです。
有名人は一人も出ない。むしろ近所に居そうなアンちゃんやネーちゃんが、でている……
既製の娯楽っぽいことなどほぼ何も与えてくれない。
あえて与えられるものがあるとすれば「ひっかかり」と「きっかけ」でしょうか。

くれぐれも間違えてはいけない。
観劇者は完璧な娯楽を期待してはいけない。
いわゆる様式美が求めるラインや定型、定石などからハズレてしまっている(そうはいっても一定の美意識のもと創り込まれている。)ことによって客席に座って舞台に同化することなくこの状態を考える事ができることは決して残念なことではないのです。
そして、この脚本を選び取り上演がしくまれ、その立会人、共犯者になれることの価値は大きい。
観劇とは一回性の中に見る思索思考の時間なのだ。
今のような総エンターテイメント時代だからこそ「演劇」は有効。

なにより、G2さんの慧眼が十数年を経た今でもとても新しく感じられるのが啓示的でもあり、フッと溜飲を下げるところでもあります。

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[2015/10/03 11:35] | シバイ | page top
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