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ZOUSS 2012年2号
金沢には「ZOUSS(ザウス)」という情報誌があります。
古くは「おあしす」というタウン誌からはじまって「CLUBISM」など多数の情報誌があります。
「ZOUSS」はそのうちの一つ。

情報誌ZOUSS
http://zouss.jp/media/zouss/2012/02/index.php



その誌面で先日上演したの仮設劇団ミリシーベルツ「ヤドカリの声」の作者のH氏が構成する演劇のコーナーがあります。ZOUSSの記者でもあるHさんの考えが反映されて、非常に充実したページになっています。
金沢・石川の地元演劇上演情報はほぼ網羅されていて、ご自身の書く劇評も必ず2団体分発表されています。
その特集ページに劇団新人類人猿主宰の若山さんと不肖私が事故原発問題と演劇のことについてH氏をインタビュアーに対談形式でお話をさせてもらった記事が掲載されたのでご報告しておこうと思います。
この時期に原発問題を取り上げる演劇祭に参加させてもらい、どちらの演目も慰問的なものとはほど遠い、ある意味危険な領域に踏み込んだ表現だったわけで、そこでお話ができれば良いなぁと考えていたわけで・・・。
実際はもっとディープな話もあって脱線に次ぐ脱線の対談だったわけですが紙面上はH氏の手腕も有り、見事に収まっておりました。どうぞコンビニ・書店でお買い求め下さい。

今は「CLUBISM」と呼称を変えた金沢の雑誌の大御所。いにしえの「金沢倶楽部」時代から「CLUB」時代初期にかけて担っていた地元の文化情報発信源としての情報誌のもつメディア機能はおそらく「その情報に紙面を割いても商売にならない」の一点で整理されたのでしょう。
現在の「CLUBISM」はほとんど地元の情報についてはメジャー礼賛、マイナー切り捨ての立場を取っているようです。(企業とすればある意味当然の態度です)。
対して「ZOUSS」は逆の立場をとり続けています、それが地元で生まれた雑誌の使命であるかのように・・・(採算は取りにくいっていうか、絶対儲からない・・・)。
この2誌の立場は自分自身にとっては「可も無く不可も無く」ということであることはいうまでもありません。
が、実際、もう少しディープな金沢の状況を知ろうとしたら音楽、演劇、アートなどのことに関しては「ZOUSS」の方が充実していると書いておかねばならないと思います。
「ZOUSS」のマイノリティーに可能性を見出すその姿勢は往々にしてグダグダな与太話を掲載する事に繋がりそうなものですが、(読者を記事に踏み込ませるのがホントに大変だと思いますが)少しその記事を読んでみるとそれぞれの分野でやっている表現者の現状や認識、その分野の勢いのようなものが感じられ、考えさせられます。
しかしながら、そしてそれは同時に、しつこいようですがそれは「どうでも良い与太話」なのです。
実際、何処の横町の誰がなにをしたとか、書かれてもほとんどZOUSS一誌が拾っている事であるから共通認識が育ちにくい。つまりどうも近所に居るらしいのだが、誰だかわからない人のやった事を述べられてもその分野の関係者である以外は「へー」「ふーん」「ほー」で終わってしまう。
その「与太話」をひろうかすてるか。
スポンサーから金をもらいその要求に120%お応えするフラッシュサーフェイスな小綺麗で高性能な金沢を演出するのか、同じスポンサーのカネを使って、ここ金沢にもワケもわからず生を受け、のたうち、うぬぼれ、都合の良い相手を探して右往左往し泥臭く表現に向かう愛すべき連中が居る事をおもしろがるのか。
あわよくばそのカオスの中から首をもたげ大輪が開く蓮の花のような瞬間を期待するのか。
このあたりに「お大尽」という感覚から、金沢で表現をする「覚悟」や「粋」といった「気概」が育つタネのようなものが潜んでいると思うのですが、どうでしょう。

さて、メジャーにあってマイナーにかけているものの一つがその表現を「言葉化」して残す術(すべ)なのではないかと思います。
当然、表現者はその「表現」において主張すべきだと考えます。
しかしながら、先人からの偉大なる継承や、本人の溢れる才能、はたまた熱き想いに突き動かされて展開する表現そのものについて本人が言葉を用いて語るという事にも、慣れるというか、挑んでおいてもいいのではないかと思います。
ブログであっても良いし、書籍であってもいい、世の中に「一時期、固定化させる」「記録する」気概と責任をみせることをもって、世の中の人は一度は認識のうちにおいてくれるのだと思います。
後はその内容になるのはいうまでもないのですが。

大きな都市ではその試みがより多くメディアを通して行われていたし、行われていると考えます。
その意味でメディアの果たす役割は大きい。

メディアと言えば雑誌・新聞より、電波。
さらにこれは電波利権の話にガッツリ繋がり、電力団にも繋がる話ですが、電波メディアに直接・間接問わず拾われると、擬似的に「食える」ようにもなったりする・・・。電波はメディアであり同時にパトロン、お大尽でもあることになります。(ま、実際は国民から集めた金を御上や電力団の都合にあわせて還流させる装置の一部なのだけれど)
自分にはこれが、やはりなにか独特の転倒状態がおきることに繋がっていくように思えてならないのです。

足るを知り、飽く事なく追求する。

このあたりの事を「ZOUSS」という雑誌と金沢という北陸地方の街との関係から考えてしまったというわけです。


ま、これも与太者の戯れ言、ヨタった考えですが。
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[2011/12/26 12:35] | シバイ | page top
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