こわれたおもちゃをだきあげて

この国の秩序らしきものは一般国民の「積極的に知ろうとしない態度」によって保たれている。 メディアは国民の「積極的に知ろうとしない態度」につけこんでマインドコントロールをしている……

今日は良い天気になりました。
私はいけないのです、いかなければならないから。
せめてこの晴天は、なによりもかえがたい。

蒼い。
輝ける青さだ。
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なでしこJAPANの試合をみながら、あるいはスエマエの試合を見ながら、浜口の試合を見ながら、ぎりぎりの勝負の場におけるフッとみせるメンタリティに側穏の情を感じ取ることができ、ふと日本人が、マイノリティが愛おしくなるのです。
チャンピオンなのに全然尊敬できない某大国の選手の振るまいをみるにつけ、敗れて尚、美しいということはどういう事か考え、また想いを巡らしてしまうのです。

勝てば確かにいい。
いいに決まっています、1位はなんといっても一番です。
ところが、よく見ると1人の勝者の足下には死屍累々と敗者が横たわっています。
敗者には何もない。死しかない。
「どんな手を使っても戦いに勝利して世界を征服する」
飽くなき戦い……MSのエイジ オブ エンパイアあたりにその精神的風土が反映されていますが。

ことオリンピックに関しては1位と2位と、そして3位までを表彰台に上げる。
「3番までは称える」
考えてみるとこれは広がりのある良いアイディアだと思います。

2位は世界の2番なんですから、物凄いことなんですが、ちょっと複雑。
そして3位……
ウズベキスタンの選手が体操種目別平行棒で銅メダルでした。
彼は凄く喜んでいました。
また表彰式で、スウェーデンのレスリングの選手が銅メダルを投げつけたこともありました。結局剥奪処分になったようですが。
これからの3番もあれば、かつて一世を風靡したものが去りゆくときの黄昏の3番もあります。それでもその黄昏を3番で飾ることができたらそれは贅沢な黄昏だと思いますが。

3番とか2番には味がある。
色も銀だとか銅だとか味のある色です。

スポーツの勝負はそれでいいのです。ファンタジーなのですから。

オリンピックは祭りですから。
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高校野球甲子園大会が始まっています。
ストライクゾーン一杯に使った玉一個分の出し入れ。
まさに紙一重のストライクとボールの判定。
何が起きるかわからないガチンコ勝負はみるものをワクワクさせます。

紙一重とはいわないものの、かなり大胆にインペイし、微妙にユウドウをしているニュースがあります。

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食料自給率、13年ぶり上昇=40%回復-07年度 8月5日11時27分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000052-jij-pol

 太田誠一農水相は5日の閣議後の記者会見で、2007年度の食料自給率(カロリーベース、速報値)が前年度より1ポイント高い40%と、1994年度以来13年ぶりに上昇に転じたことを明らかにした。40%台の回復は2年ぶり。
 07年度は、小麦の生産量が主産地の北海道や九州の好天を主因に、過去10年間で最高を記録。高カロリーの砂糖も、テンサイやサトウキビの収穫量アップに伴い生産量が増加した。これまで減少傾向にあった1人当たりの年間コメ消費量も前年度比で0.4キロ増の61.4キロと12年ぶりに拡大した。 

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一見結構な感じです。WTOも決裂したことですし、国内の農業は守られたか、と少しは安心できそうな感じですが

これに対し日刊ベリタでは大野和興という方が「一方で農業生産額は減少、生産力の衰退続く」と警鐘を鳴らしています。

日刊ベリタ
http://www.nikkanberita.com/index.cgi?cat=special&id=200610311220292

本当にそうかな?と農水省の食糧需給表のページにいってみる。
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/index.html
そして、(別紙1)平成19年度食料需給表のポイントのファイルを開くと……

「1 食料自給率
○ 平成19年度の食料自給率は、カロリーベースは前年度から1ポイント増加し40%」、

とあります。しかし……

「生産額ベースは前年度から2ポイント低下し66%」

とあり、さらに下をみると

「2 消費と生産」の項目の一番下の「生産額」は下がっています。

○ 食料の国内生産額は、前年度から2,601億円減の10兆38億円(対前年度比2.5%
減)

あららホントだ。

日刊ベリタの記事の指摘の通り自給率上昇はまさに「天候が良かっただけ」であり、生産額が下がった理由は「農産物価格の低下」が理由であると農水省自身が資料の中でみとめている。
つまりこれ、輸入した農産品が安いため07年はそれに引っ張られ安値になった。
今は穀物高騰で「飼料代が、急上昇」した。
「畜産物の国内生産額は輸入飼料額を控除して算出する」ため、その分生産額が減少することに。

とどのつまり農家は「儲からなくなり」「弱体化」していくという実態が透けてみえてくるということ。

こう読むと、全然いい感じの記事じゃないじゃないすか……。

これは大田農水相の就任に対するご祝儀的意味合いの「大本営発表」だったと考えて差し支えないと思われます。

こんな調子で錬金術師にかかれば、なんだかいい話に化けるわけです。
どうも日本人は気分の良い大本営発表がでないと「落ちついていられない」らしいです。
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ひょんなことから新人類人猿という金沢の劇団の芝居を観ることに。
金沢市民芸術村で行われていた、ワークショップの成果発表会です。
とはいっても2000円。立派な金額です。本公演だよね、これ。
新人類人猿の主宰:若山知良さんが大田省吾さんの作品をかけるとのこと。
新人類人猿は金沢の前衛劇団です。

芝居は昨日から連チャンです。久しぶりに。
前衛を見るとき、いつも祈ることがあります。
「どうか私自身、静謐な時を得られますように」



結論から言うと「よくつくってある立派な舞台」でした。

どこかへとんでいけそうな感じの雰囲気のある「場」。こりゃ良いなぁ……。
「なぜ金沢市民芸術村を使って芝居をするのか?」「ドラマ工房でなければならないのか?」
その意味を明確に感じる、素晴らしい装置と環境を生かす照明。
蛇口がしまらない、しどけない水の音。水洗トイレの音。
スキャニングノイズと海外のテレビ番組のノイズのコラージュ。右に左に奥に定位する。芸が細かい。

死にそうな声の出演者たち、生気が感じられない。
全然元気のないスリラーbyマイケルジャクソン。油の切れかかったゾンビやバイオハザードという感じ。
でもこの作品なら、これでいい。
言葉はズタズタに切り刻まれ、印象だけがコダマのように少し遅れてくる感じ。
夏の夜の鬱屈。

時折、というかひっきりなしに聞こえる花火の音
「今日は花火大会だよな」
外は美しい花火が乱舞していることだろう。
その残像に思いを馳せながら、しみったれた舞台をみている自分を含めたこの場の人たちのことを思う。
いいんじゃないのかなぁ、こういうのも。

環境は自由になれそうな空気だった。

そんな中、時々「さし出してない人」をみつけてしまう。
「ああ」と……興が冷め、舞台上からその演技者を排除している自分がいる。
それでもその人たちは無意識にその身体と心にこびりついたノウハウに頼って、さらに武装までして迫ってくる……ヤボだなぁ、ほっといて欲しいのに。
「このくらいはできるようになったんだよ。私。」
みているこっちは、そうじゃないのに「どう?どうよ?」とつきあわされる。
観客のモノにするわけにはいかないとでも言いたげに、時に嬉々として過干渉で狂いたげな人たち。
だから発表会なのか。膝を打つ。
その人は観てほしいのに、見ると、こっちの静謐な時間は断ち切られ、現実のしがらみに引き戻される。

その心根を写す鏡になる肉体。
逆に一瞬でも差し出せた肉体はそのとき「超えて」いるはずなのだが。
さし出せたのかそうでないのか。
この差……恐ろしい。

やがて花火は終わる。
静かになる、外。
それとは関係なく劇場内は佳境に入ったらしい。
人工的に仕組まれた環境が良くできているが故か、逆に物足りなく感じる。
芝居はいよいよクライマックスらしい。
しかし「外」が気になる。
もしここに来ていなかったらと想ってみる。
あるいは、もしそのワークに参加していたらと想像してみる……
あるいは、もしこの時間この上空を遊覧飛行していられたら……花火をかわしながら犀川の様子を見ただろうか。
昨日の芝居を想う。
と、不思議なことに昨日感じたことがより明確になっている。
日本人の歴史を想う。
今、目の前で繰り広げられる芝居をみるにつけ、だからこうなるのか、こういうのもありか……。
この芝居ではなくあの芝居のことを思い出しながら、この芝居のことも想っている。
少し愛おしくもなる。

自由になりかけたかな?と思ったら、拍手が起きていた。



……俺も枯れたものだなぁ。
さ、暑いし、片町!飲み直し、飲み直し。
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教育会館で舞台をみました。
地獄のDecember「哀しみの南京」という芝居のような演説のような朗読のような曖昧模糊としたもの。

思想信条などがせめぎ合う「キワ」。
まともに検証が行われたかどうかも定かではない部分に切り込んでいく。
大変だなぁ。この時点でもう「ああ……」と気後れしてしまいます。

その舞台は、ストレートなものという意味ではこれほど真っ直ぐなものはなく、首尾一貫してひとつのことを言い続けているような、始まったら終わりまでこんな調子なんだろうなと想像できるような、ある意味素朴な感じがします。
扱う内容が内容だけに辛く重く、見ている最中から反問を繰り返さざるを得ないキツい時間。
出演している二人はけっして若いわけではない。動きやケレンでみせるものではない。
時々セリフも危なっかしくなったりしてる(ま、こんなことはどこでもあるけど)。

でもこの舞台、そこにいても不快な感じは微塵もなく、むしろ爽やかだったのです。

なぜでしょう?

こちらは初めて見る役者、あちらも初めて訪れた土地。
キツイ内容。心情吐露も強烈で、その考えを受けとるには今の自分には重すぎると感じ、みていると息苦しくもなる。押しつけてもくると思う。

でも
そんなことはどうでもよくなるのです。
そしてその感覚は不思議と心に残ったのです。
心を開きこのことを考えてみる時間を与えてくださったこの劇団にむしろ感謝の念さえ沸き上がってくるのです。
これは今は高校演劇でもほとんど出会うこと事もなくなった感覚ですが、高校演劇でたまに出会う感覚に似ています。

この答えは……
奇跡的なことも含めいくつかの条件がそろったこともあるとおもいます。
が、それらを超えてイメージできたこと、再認識したことがあります。

これは「秘すれば華」としておきましょう。
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