こわれたおもちゃをだきあげて

この国の秩序らしきものは一般国民の「積極的に知ろうとしない態度」によって保たれている。 メディアは国民の「積極的に知ろうとしない態度」につけこんでマインドコントロールをしている……

Agクルーという金沢市にあるシニア(というにはお若い!)演劇集団の講師ということでお芝居を一本。
4月23日(日)の公演13:00~が千秋楽! 
大好評のお芝居。
この機会にどうぞお越し下さいませ!


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三州のあやかし2

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三州のあやかし ― とはずがたりにきいた ―
堀麦水 三州奇譚ほかより
脚本・演出 高田伸一

そういえばこれ、きいたはなしなんですが
寄せ鍋のようにハナシを寄せ、語る
とある限界集落の雑貨屋の
さんざめく語らいの真ん中に
石油ストーブは 確かにありました
そんな芝居です

①4/21(金)開演19:30 (満席御礼)
②4/22(土)開演14:00 (完売・満員御礼!m(._.)m)
③4/22(土)開演19:00 (好評御礼!)
④4/23(日)開演13:00 (千秋楽)

入場料 前売り1000円  当日 1500円

会場 金沢市民芸術村 PIT2 ドラマ工房

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三州のあやかし1

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思えば
不定期に続けている“福島の民話を語る会”による「相馬移民奇譚」「空の村号」
110SHOW++「けいこばしばい」
110SHOW++「御祓川大学プロジェクト」
夏休み子ども演劇合宿inこまつ「毒のないりんご」
ピースリーディング非戦を選ぶ演劇人の会「すべての国が戦争を放棄する日」「修復不能」
北陸の劇評 劇処参加作品「赤紙」
プロジェクトY企画「だからペミカンなんですよ!」
劇団nono「MOMO」
金沢市民芸術村ジュニアクラブ「おはなしのパレット」
金沢市民芸術村Agクルー「三州のあやかし」
と二月とあけず、なにかと公演に絡んでいるというのは、セブンスターズカンパニーに所属していた時以来のこと。

それとともに、このブログもずっと続けてしまった
批判は聞くこともあるが、言いたいヤツには言わせておくさ

当初は芝居のネタ探しで、ネットや本を調べだしたわけだけれども・・・ネタを探すことはすなわち、社会の背景であったり、人の営みであったり、過去の文学であったり、不勉強で鳴らす自分でさえ色々勉強し目を見開かされるハメになるのです。

まさに目からウロコの毎日。
特に311以降の、この国の「捨て鉢」な感じは、目を、耳を疑うばかり。
むしろ、311というとんでもない事を経験した後のこれからが大事なのに、何をそんなに慌てて売りさばくのか?。
芝居どころじゃ無いとただ右往左往しつつ、自分には芝居しかのこっていないというのも事実。
無学文盲無知蒙昧の輩である自分も、この三州のあやかしで描くアホウドリのようなものになってしまったのかも知れない。

けど、そういうもんだ。

とにかく芝居を、その裏を。
そこから拡げる、感覚を。

観る側が豊かになるよう、
みんながもっとおしゃべりするようになるのがいい。


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総花的といいますか、多くの行政主導の文化事業の場合、いわゆるこの状態に陥ってしまいがちに思われます。確かにそれぞれのパーツはうまくいっているのに、肝心な全体というか、その事業そのものはどうなのかというと、なんだかなーといった物になるものが多い。これは行政のものではないのですが去年の紅白歌合戦は例としては適切で、そのパート、このパート、あのコーナー、そのコーナーは一つ一つもの凄く良くできているのに一体感がない。そもそも何の番組だったか?の座標が揺らいでいるのに構成している要素はどれをとっても申し分ないという状況。

個人的にこの時間帯だけはハズさないで楽しみにしている「紅白終わり際の11:44分から行く年来る年がはじまった11時46分までのあらたまる瞬間」でさえ、あいた時間を埋めるためとはいえタモリさんとマツコさん(すごくウラ読みのできる興味深い時間帯ではあったのですが・・・)を間に挟むのはカンベンして欲しかった。そのグダグダ感はもう少し別の企画でやって欲しかったかなぁ。

それはさておき、行政主導のイベントはと言えば「きちんと予算を執行したかどうか」しかないと言っても過言ではないのです。
この予算執行ありきのため酷い目に遭ったある屋外の行政発注イベントの思い出があります。
自分の仕事は夜の公園に蘇るその公園のキャラクターに扮し、しかもそれがMCも務めるという無茶ブリだったのですが、そんな事頼めるのはあなたしかいないといわれ、それならよろず屋的に使ってもらってナンボの私。受けました。ところがその日は嵐が接近して公園周辺は冷たい風と大粒の雨。客もいない。延期かなーと思った矢先、現場の立ち会いの行政官が、期日通りに予算の執行が行われなければならないと言い張るので、関係者しかいない中、そのイベントはスタートします。雨が目に入り正面を向くことすらできず、これまた台本は水浸し、ベタベタでめくることすらできず。ビニールカッパなど役に立たずメイクはおち、テンションダダ下がりの中、誰に見せているか分からないパフォーマンスを、カラの客席に向かって延々と予行演習のように行うのです。・・・どうかしています。そしてこれで予算は執行されたと行政官は満足なさったそうです。。。。現場は振り回されバカにされ踏みにじられたのです。泥水すすってそのあとはなしのつぶてです。その行政官のメンツと書類作成のための仕事につきあわされただけだったわけです。こんなものか行政はと幻滅しました。

時は過ぎ、まったく思いも寄らぬカタチで「演劇の演出」のおはなしがきたのが5年前。前回作の「囮」でした。不思議な縁です。これも困難を極めましたが、携わった皆さんのおかげで、金沢のアマチュア演劇愛好家が世界的アーティストの力添えもあり行政から信頼を得、ある意味「大人な」「仕事」を完遂させていただいた。「できるのだ」、という思いがありました。
そしてまた5年経ちました。
この作品「世界はあなたの物」が選ばれたことに、ある感慨を持っています。
「囮」以前の作は戯曲賞そのものの方向性もあったかも知れませんがどちらかというと総花的なものになってしまう傾向が強く、結果としてできあがったものが鏡花ワッショイ的・・・現代社会とは乖離した・・・そういう意味では社会に関わることを意識的に避けて婉曲に長閑さをよそおいつつのそれだったのかも知れないと断りを入れつつ、そのソラシはまず考えられないくらいに、超然と切り取られた別世界のおはなしとしてショーケースに収め鑑賞されるような物になっていたのではないかとお見受けしました。これはイデオロギーのこともあったかも知れませんが、実際、荒川哲生氏(故人)の活動においてその選外作品が上演され、コミンテルン的アジテーションの素描と鏡花作品の対比のなどが屈託無く描かれていました。作品は二つの世界を同居させ、たしかにゴリ押し的な稚拙さを感じさせましたが、現代社会に対する問題意識はありました。鏡花自身もその作品世界において暗喩を持って世の流れに棹さす意思もあったところを汲んだ、正面から世に問うた試みであったと考えられます。
しかしながらこういったことがすでに冒険とされたか、単純に作品の描き込みの優劣か、事なかれ的な雰囲気もあったのかも知れません。「予算の執行」たる行政の事業という所も有るのかも知れません。上演当時の様々な機微を荒川作品は思い起こさせます。

さて今作においては(市HPよりダウンロード可)イデオロギー(ideology)を微視的にのぞき込めばおのずと根源的な問題意識に行き着き、その発露の先が泉鏡花「外科室」であることを嗅ぎつけ、それを翻案(adaptation)拡張(extension)強化(enhanced)し現代社会に関わって(commit)いく。その作品世界の共存の仕方が平行(parallel)ではなく変容(metamorphosis)でもなくむしろ真正面からの問いが試みられている。このような方向性の作品が選出されたことは、まさにこの金沢に対しての選者の期待とともに泉鏡花戯曲大賞を踊り場から上階へと押し上げようという意識が働いているのではないかと密かに期待しているのです。もしかするとこれがキッカケになるのかもしれない。そう期待させるものがあります。

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今般、看護師役を数名募集しました。
稽古期間は主に9月から本格化します。
11月が本番です。
金沢市民芸術村ドラマ工房です。
どうぞふるってご参加下さい。
ものごとには盛衰というものがありますし、抱えても墓場に持って行ける物などなにもないですし、老いのカタチも人それぞれですので、私もどう関われるか未知数ではあります。でも鳴海康平さん、山田洋平さんはじめ大海を知るアーティストや素晴らしい方々と自分の生まれ育った土地に関わる演劇づくりに携わることの幸せを感じています。
空の深さを知るものとしてそこに居られないかと倦んでいます。

いいね金沢
第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11020/bungaku/gikyoku/gikyoku_5.html






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さぁ!こどもたちの表現の時間です!

金沢市民芸術村ジュニアクラブ 第6回発表公演「おはなしのパレット」

ジュニアクラブパレットチラシ2017オモテ
金沢市民芸術村 PIT2 ドラマ工房  金沢市大和町1-1

3月11日(土) ①13:00~ ②16:00~
3月12日(日) ③10:30~ ④14:00~

無料(金沢市民芸術村事務所にて整理券配布)

だしもの

芝居「毒のないりんご」
2016年の8月に行った「夏休み子ども演劇合宿 in 小松」で初演した、小川功治朗さんのペンによる作品。
たった5日間でやりおおせた福島も子供たちも凄かったけれど、少し大人な表現に挑む金沢の子供たちにも注目です。

群読「和尚さんと小僧さん」
小学3年生と4年生のかなーり自主的な表現にはっとさせられます。北原白秋。

朗読「48色の夢のクレヨン」
重藤静美さんが日本とアメリカの取材を重ねて書き上げた、先の大戦の恩讐を越えて交換されたクレヨンと絵。
今の時代にこその想いを込め・・・

群読「あめ」
ケチャのような群読。音声表現のひとつの到達点のような作品。これに挑むジュニアクラブの子供たち。


金沢市民芸術村の年度事業であるジュニアクラブ。年度の集大成としての発表が3月にある。

卒業のシーズンと重なります。
これを人生のうちいくつもある通過儀礼のひとつとしての意味もあるとして捉えると、このジュニアクラブの必要性がかなり明確になってくると思います。

親御さんの協力のもとジュニアクラブの活動自体は継続していくのですが、子供たちは一定の期間在籍し(子供によっては1年の場合もあれば数年に及ぶ場合もあります。)表現をした経験をした後、卒業していきます。
この「卒業する」ということこそ、とても大切な事だと考えます。

国民に痛みを強いる国の政策。特に教育など、自分の40年前を思い起こすと、当時もそんなに甘くはありませんでしたが、今は大人も子供も過剰に忙しく、金がかかり、時間にも余裕がなくなっているように感じます。

ジュニアクラブには、そんな状況にさらされている、子供たち、親たちの避難所的な意味合いはもちろんあります。
人生のうち子供で入られる時間は短いのです。思いっきり子供でいられる時間を謳歌する。
すこしシュンとしていた子供たちが、芸術村の広場でごっこ遊びをし「子供であること」を取り戻す。
「場」があることに気がつく。
すこしずつではあるけれども調子が出てくる。
これが大きい。
でも、自分のチカラでそこに立っていられるようになったら思いきってそれぞれの人生へ飛び込む。
そうでなくてはいけない。
すこし、つらいけど。

芝居で舞台に立つ時、役者は、感じながら、考え、行動を決めます。
本番の、それもアマチュアの舞台ともなると、全力を投入しないと乗り切れません。
似ていますね。人生と。

一時期共に全力で過ごした子供たち親たちが卒業していく。
その人たちの心に、それがあり、そこがあるからと、心のどこかで思う事が出来る。
そのためにもジュニアクラブには「場」で在り続けることが求められると考えます。

表現経験や芸術的活動の体験はそれこそ10年20年スパンでその人に影響を及ぼし、その人の生活を通して地域に還元され、またその地域の生活に反映されていきます。

ジュニアクラブは、まだはじまったばかりなのです。


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さて、今日、明日は芝居です。
石川県野々市市にあります、野々市文化会館フォルテにて、ミヒャエルエンデのモモを上演します。

この芝居では「お金」と「幸せ」と「時間」という事柄を使って、今の世の中で起きていることを比喩しています。

チラシ表

当ブログで、危惧し続けている現在の世界のことを、とても端的に表しているのです。

チラシ裏



MOMOきじ
MOMO写真





MOMOは深い。そしてシニカルです。
今起きていることにもとても繋がります。






Sputnikの伝える素っ気ない文章に含まれる、狡猾漢“でんでん”ちゃんの毒素外交を読み取れ!

安倍首相、アジア太平洋地域の現状を変える試みに日米は対抗
https://jp.sputniknews.com/politics/201702113329577/



追記のsimatyan2のブログさまの内容に全てが見えます。


【“nono de MOMO”の続きを読む】 このページのトップへ
ご来場ありがとうございました。

この作品を終えて、今、思うこと。

明日にでもこの国に住む人々のうちの大多数を売り飛ばしてしまう、荒っぽいことが決まってしまうことがみすみす分かっていながら、この国の人々は政治宣伝になびき、曳かれていく。
どうでもいい勝負事でごまかされ、本当の勝負で禍根を遺す。

今この瞬間はまだマシ。
日を追って、月を負って、状況は悪化する。

アルゼンチンになる。

手遅れになる。

velvetmorning blogさま

velvetmorning blog
PPが本当に危険な理由 岩月浩二弁護士
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/11/01/8240221

<前略>
以下は、国会質疑に立った岩月浩二弁護士のHPから引用

TPP ISDだけは絶対にだめだ

今回、参考人質疑に呼ばれるということで、久しぶりにISDについて勉強をした。


それで、政府のウソに、まんまと騙されていた点が2点あることを知った。


1点目は、政府が「ISDは攻めの分野だ」と繰り返していた点だ。
そう聞けば、途上国に対する投資を保護するためにISDが必要なのだと言っているんだと、普通、そう思うだろう。
アジアの成長を取り込むとか言われ、ISDは攻めの分野だとか言われれば、当然、途上国対象なのだろうと僕も漠然と思わされていた。


今回、勉強してみたら、まんまと騙されていたことを知った。
TPP11カ国中、日本がISD条項を結んでいないのは、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、そして米国だけなのだ。
(どうも、こう書いてみると、かつては認識していたような気もしてきた。5アイズ(five eyes)に重なると、どこかで書いたような記憶があるからだ。繰り返し喧伝されると、正しい認識も覆される、印象操作の恐ろしさを示すよい実例かも知れない)


要するに、いまだかつて日本がISD条項を結んだことがない、英米法の先進国とISD条項を結ぶということだ。
とくに、問題は、訴訟大国米国だろう。
そういう想定で、参考人質疑に向けて、意見を準備した。

中略

TPPでの日本の立場は、NAFTAのカナダの立場と同じであることは確実だ。
それで、改めてカナダの立場に立って、この表を見てみる。
カナダは米国企業から37件訴えられ、カナダ企業が米国政府を訴えた件数は16件に過ぎない。
その上、勝訴と和解によって何らかの成果を勝ち取った率は米国企業が36.8%(米国企業対カナダのケースで算出。この率は、濫訴を言われるISDにしてみれば、相当高率だと言わなければならない)、カナダ企業は0%だ。


カナダ企業にとって、米国との間でISD条項には、何のメリットもなかった。
そして、カナダ政府は7件で敗訴又は和解し、税金をかすめ取られるというマイナスを招いている。
貿易にたとえて言えば、明らかに大幅な「輸入超過」なのだ。


カナダは、いうまでもなく英語を母語にする、英米法の国だ。
米国と対等であるというプライドも高く、米国企業から訴えられたのと同じ件数、訴え返すくらいの根性もある。
そのカナダにして、見る影もないほどに敗北しているのだ。


日本にとって、これらの英語・英米法の国とISD条項を結ぶことには、何もメリットはないだろう。
米国企業に税金をむしり取られることは目に見えている。
米国に煮え湯を飲まされたカナダもその損失を日本で取り返そうとするだろう。
日本の損害は想像を絶するものになり兼ねない。


僕は、ISD条項自体に反対である。
相手国の司法を無視することは、相手国を国扱いしていないに等しい。
日本の弁護士に、相手国を脅しあげるような阿漕なまねをしてもらいたいとも思わない。


だから、TPPにISD条項を設けることの得失をわざわざ考えたことはなかったが、戦略的に見たとしても、TPPにISD条項を設けることは、致命的ミスであることは断言できる。
何一つとして、よいことはない。



いや、それにしても「ISDは攻めの分野だ」とはよくも言えたものである。

以上引用

http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2016/11/post-aaee.html

<以下略>



お役立ち情報の杜(もり)さま

お役立ち情報の杜(もり)
【アメリカ帰還兵の自殺は年間数千人!】
日本にとって対岸の火事ではない。
http://useful-info.com/us-ex-6500-soldiers-commit-suicide-annually






コイケを見て見ればいい。
何一つ解決していない。

芝居より、非道いシバイ





【“「赤紙」上演を終えて”の続きを読む】 このページのトップへ
芝居をします。
赤紙記事
(昨日の北陸中日新聞)

(記事内容ではありません)
劇は毒か薬か。
ロックは気づきか。
映画「マトリックス」、アニメ「攻殻機動隊」などの名作の胸の空くようなアクションはありませんが、芝居です。

「戦争」というものは、誰も皆、忌避するのにもかかわらず、無視を決め込んだ途端あなた自身が荷担してしまう。

 この「戦争」の部分をほかのもの・・・例えば「原発」「沖縄」「フクイチ」「貧困」に置き換えても成り立つと思います。

「赤紙」を配達する時、配達する対象者を決める時・・・サイコロで決めていたわけではない周到で精密な用意があった。
そして否応なく暮らしから引きはがされてしまう。


映画「帰ってきたヒトラー」は、娯楽としては多少もっさりしているけれども、徹頭徹尾「同化すること」への「疑い」を画面の向こうから投げてきます。
あんなことは「骨身にしみてもうコリゴリだ」戦争を動かすMONEYの奴隷にだけには金輪際なるもんかという決意すら感じます。

と、たかがフィクションをつくる時にさえ、こういうところから出発しているドイツ人の気風にあこがれてしまいます。

「考えるな、闘え!」の対局に、情報を集め、想像力をもって読み取り考えることの尊さがあると思います。

私は、普通に初詣にも行くし、今上天皇様は尊崇してるし、アメリカ映画も観るし、ブリティッシュロックが好きだし、テレビっ子だし・・・でもまぁ、分類するなら私は民族主義左派とでもいえる程度のいい加減なものなのでしょう。
しかしこの状況は、もはやそんな悠長な分析など意味を成さないところに来てしまった。

「イデオロギー」だ「右」だ「左」だも意味を成さず、意味を持っているのは「売る」か「売られるか」くらいだし、それが己が身に降りかかるかどうかなのだろうと思う。



★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK213 > 184.html
昨年夏のマスコミの態度をハキリ覚えている!! 
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/184.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 9 月 20 日
   
昨年夏のマスコミの態度をハキリ覚えている!!
http://79516147.at.webry.info/201609/article_156.html
2016/09/20 01:07 半歩前へⅡ


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昨日「太田省吾TRIBUTE」と題された三本の短編を観た。表現者の年齢とすれば老いも若きも寄ってたかって太田省吾さんのホンに挑み、味わい尽くすという試み。金沢の新人類人猿という劇団が催した、ささやかな、そして立派な演劇フェスです。四本用意されている作品の内、仕事の都合で自分はそのうちの三本までしか観劇がかなわず、ここでその全体像を把握できないのに口に挙げてしまうのはいかがなものかという気もするのですが。
当日券で行くかと決めていたのですが、まぁ、なんとかAプロの会に前売りで滑り込めたのでよかった。

 劇団帆嶋(ほとり/大阪)『なにもかもなくしてみるその前に』は、弱冠22歳の若者が演出する太田省吾なのですが、「その時」を想う心は多重に時空をまたぎ、多分この瞬間にも予感し懺悔し後悔し弁護し納得し・・・老いの風景を、酷な風景にも、劇な風景にもよめる。そこは囲い込まない。主語がかなり廃され、ほとんど門外漢には迷宮のセリフ達なのだろうと想われる劇中の文脈の中から、全体像に気づきかけてきたかと思った時に、闇に消える。人生とはそんなものなのかも知れないが、そこに味わいを見つけ出そうという精神性があると思う。老獪である。近畿大学にみに行きたい気がします。

 続いてグループGOKAN(名古屋)『空気と月と生きもの』も劇団帆嶋のそれをより深化させ、深ければ深いほどクルリと回って人の感情を軽やかにゆさぶる。日常を振り返ると、そこに発見が伴うことの幸せを思い起こさせてくれる。二人の俳優の質の高さは、口に出すのがおこがましいほどの超絶技巧の名人レベルです。
 芸の質としてある高さに手を付けると一定のコミューンを形成してしまいがちで、それこそが「界」ということなのでしょうが。それは安住の地であり、羨望でもあるわけですが、同時にアンタッチャブルなモノに成り果てる可能性もあり結果、棚の上置かれてしまい込まれてしまうようにも思えます。この二人はそれを注意深く、嗅ぎ分け孤高を気取ることもなく冷静に距離はかる活動を行っているのだと拝察いたしました。その血があるからこの金沢の地で催される太田省吾さんの仕事の追憶を手繰る作業をしにきたのだろう、と想ってみる。そう想いたくなるほど、彼らは一期一会を楽しんでいた。その距離感がわかっているものの至芸。手練れな感じがします。

 劇団新人類人猿(金沢)『歪んだ肖像』は、ドラマ工房から場所を移しアート工房へ。客も移動です。
 プラスチックローズという太田省吾さんの作品を解体再構築というか、テキストの特徴的なところだけを抽出し、現代・近未来の印象に置き換えるというものです。スロー&クイックな儚げな人の動き。中心を外す配置。オブジェの使い方などスタイリッシュ。おそらくゲストへの配慮なのだろうと思われますが、この作品だけ少し短い。すこし奥ゆかしいというか勿体ないかも知れない。それが金沢らしいというかなんというかなのだけれども。ただその分、単純化せざるを得なくなったのかも知れないと邪推します。この地の演劇ファイルを気取るもののもつ明後日を向きすぎている感覚というか、ほとんどどこを観ているのかと疑いたくなるような時代感覚をもつものに対しても、しっかりと今の時代の持つ空気を伝える事には寄与していたと思われます。故天野祐吉氏の言葉に「CMで伝えられる事なんてせいぜい一つしかない」という言葉があります。その意味で極めて戦略的な3本目だったのかも知れません。
 「空気」ともうしましたが、戦前戦中もおそらくこういう空気だったのだろうと思います。
戦争という商売に参加してハデに儲けたい連中と、それを易々とゆるし唯々諾々と従わざるを得なくなる曳かれ者に分断されていく「ザマ」。この内臓がよじれていくようなザマを観る、どこか遠いところを見る目で終始描かれる状況。 目は遠くを、身体は引き裂かれ、もたれ掛かり、頼りなげだ。 この目さえもなくなった時が、恐ろしい。

アフタートーク 西堂行人(劇評家)の話、維新派:故松本雄吉氏の仕事や
故蜷川幸雄氏の仕事の喪失感から、故太田省吾氏のTextとの金沢での邂逅のことなど、柔和な氏の表情からは想像できない熱い言葉を聞けました。

色々と、捨てたものではないなと、思うことができました。

「雨あがる」という映画を思いだしたのでやぶにらみでリンクを

お役立ち情報の杜(もり)さま

お役立ち情報の杜(もり)
【雨あがる】現代に失われつつある優しさを表現した映画を紹介
http://useful-info.com/introduce-movie-ameagaru





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金沢は文化都市であるといいます。
確かに以前から伝統文化の保存・継承に手厚く、謡が空から降ってくると言うくらいの土地柄なのですが・・・
様々な世界観を「板」の上に提案する総合芸術教育としての演劇部活動。

今それが石川では減少しています。

活動が減っている 特に演劇部

能登地区や加賀地区は激減。
金沢レベルで見ますと高校はかろうじて半減で留まっていますが、中学は壊滅状態です。金沢市にある中学の内2~3校しか演劇部を維持していません。しかもそれに入部している生徒は1校5~6人程度ですので、金沢市全市で演劇部活動に向かう中学生が多く見積もっても20人程度という……この子達がそのまま高校で演劇を志すかどうかは定かではありませんが、レッドデータブックものの絶滅危惧種なのです。
演劇という比較的自由な表現活動に対する理解と、活動の実際において、金沢の文化度、つまりは生活の内実はそれほど褒められた状態ではないのではないかと・・・
つまり「衣食足りて礼節を知る」です。(飛躍御容赦!)
8時間働き、8時間自分の時間を持ち、8時間寝る(ムヒカ氏)というのが重要なイメージだと考える自分とすれば、隣県の富山・福井の方が、様々な形で子供が学校現場や生活周辺で表現の場にいられる状況があり、人材の枯渇などということが深刻になっていないところを見ると、金沢が文化都市の看板を掲げることそのものが危ういのではないかと実は危惧しています。

今年20周年を迎える金沢市民芸術村という画期的な施設も結局のところ次世代の育成、などの面で幾何かの関わり合いは発生しているのですが、体系的なものになるには成長半ばで、未だ「市民が安く使える稽古場」「安く使える劇場」という発想から出ていないのが厳しいと考えます。
20周年を迎えた、いまこそ、発想の転換と、もともと持っていた使命と理想の再確認、広く人々に対して関わりを持っていくことが必要だと思います。
ちょうど今年の10月から10週間あまりを費やし記念演劇祭が行われるようです。ここに集う地元演劇愛好家をコアとして「市民自治」の扉を開いた「金沢市民芸術村」のことを「考え」「開いて」いくことが求められるのではないかと考えます。
演劇のもつ可能性を拡大し、土佐の長宗我部氏による一領具足的(あくまで文化活動を行うこととして解釈しています)、生活の横に文化表現活動を置く豊かさを拡張することこそがこの金沢という土地に福利をもたらすと考えるのです。


さて演劇部のことに話を戻します。

演劇部の効用・・・効用というカタチではあまり唱えたくはありませんが、この際、例えばで申し述べてみます。

例えば

・・舞台を創出するためには、相手のことを考えることや、様々な仲間との連携が必要になりますので、コミュニケーション能力の向上にも役に立つと思われます。

・最近求められるプレゼンテーション能力の向上にも役に立つと思われます。

・小とはいえ演劇部は組織ですので、部内をまとめ上げるためのリーダシップも求められます。

・一つの事象を様々言葉で言い換える語彙の発達が期待できます。

・舞台の上では最終的に肉体で表現するため、身体訓練も一定量必要になりますので、アスリートとはいいませんが、鍛錬が必要です。若い十代のウチに取り組めば身体能力の拡張が期待できます。

・温故知新ということで名作に「音読」というカタチでふれたりすることも期待できます。

・技術を磨くということにおいては芸能なので、何らかの芸能を身につければ、座持ちが良くなるかも知れません。

・「美」的なものを追求するということにおいては芸術でありますので、美的センスが培われ、人生のなかでそれが使える時が来るかもしれません

ま、半ば冗談のような感じになりつつありますが、少し考えただけでも演劇の及ぼす効用・影響は多岐にわたり、まさに総合的なものであることが想い描くことができます。

反面、金沢では昨今、勝った負けたがハッキリしているものが重用される傾向にあるようですが・・・

これなど大手広告代理店の提供するプログラムに乗ってしまった方が一部の人が儲かる、事は有る、かも、知れませんが・・・
地域に流通しているお金を吸い上げ、どこかへ移動してしまう手立てにも見えなくもない・・・w。
もし地方がそのような事を考えているとすればあまり褒められたことではないのは当然ですね。

おそらくは混乱が大きな原因だと思います。
混乱を起こせ・・・どこかの会社の鉄則ですねw。

昨今の教育現場の変化(混乱)が大きく影響しているものと思われます。
聞くところによると、勝った負けたがハッキリしている分野の活動をする教師は異動の際、配慮があるようですが、それ以外の分野の活動をする教師の異動の際には、むしろその部活がない学校へと移動させられる事例が多いとのこと。
・・・人事に於けるパワハラ?ですか?ねぇ(+o+)。
実際、高校演劇県大会の審査をやって「あれ?去年の先生は?いないですね?」という事例が見受けられますしねw。

現場ではミスマッチがおきている可能性を感じます。

いずれにせよ情報の少ないこの状況からですが、ムリクリ読み取ると「使える・使えない」がキーワードのように見えます。
だれにとっての「使える・使えない」なのか。
これは考える必要がありそうです。


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★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK211 > 130.html
「ぼんやりしてたら大変なことになる。憲法守れの声が湧いてほしい」市原悦子さん
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/130.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 8 月 11 日 18:00:05
   
「ぼんやりしてたら大変なことになる。憲法守れの声が湧いてほしい」市原悦子さん
http://ameblo.jp/takumiuna/entry-12189281460.html
August 11, 2016 かばさわ洋平

ぼんやりしてたら大変なことになる。憲法守れの声大きく!

戦争童話朗読を30年にもわたって続けている市原悦子さんが、今こそ憲法守れの声を大きくしていかなければならないと訴えています。戦後71年の夏、戦争の悲惨さを引き続き語り継ぐことは本当に重要であり、みんなが声をあげていくことで変わっていくという言葉をかみしめて私も声をあげていきたいと思います。




やはり「法」によって統治され、人々の生活や命や考えが保障されるというのはとても重要であると考えます。

創造力があり、想像力がある。そして行動力を伴う。

誰かにとっては、都合が悪いことかも知れません。

でも多様性が担保されていると
危機が起こった際、
その集団が生き残る可能性が増えるのは
もう実証されているはずです。



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表現全般において、通解、エポック、話柄、美的要素を求めたり、憂さ晴らし度を延展するのはもちろん、相反して芸術では世界は変えられないという諦念を底流としたパンキッシュであることに慰みを求めるなど、ある意味、やれることはやり尽くしてしまい、もはや職人的熟達の究極を見世物とするくらいしかない状況のなか、演劇はそれでもウニャウニャとアメーバのように人と人の間をさまよい歩き、あなたの探していたものはこれではないですかと?と差し出してくる。

そのようなすぐれた脚本に出会った。

金沢などという田舎にいると、世間に繋がる方法としての演劇より、つい、引き籠もるための演劇を指向してしまいがちで、先頃みたいくつかのエンゲキも見事につくり仰せているのではあるのですが、結果として壮大なプレゼンであったり、自己宣伝の類から一歩も出ていない代物であったりする。これは表現者も生活がかかっているので事情は痛いほどわかるのですが。。。結局、田舎とはいえ官吏近傍でトリクルダウンを期待するのが企業努力だったりする。


そんななかで、母体はれっきとしたプロであり、その下部組織としてある意味アマチュア演劇の誠実な部分を体現している表現集団tone!tone!tone!の芝居を観た。


極めて「今」を突いている脚本。

表現集団tone!tone!tone!は脚本選びが秀逸です。

どうぞ劇場でご覧下さい。
(田舎の下級官吏は、結局、こういうものを探し出せない。噂を聞き、たどり着いた時には旬を逃す。誰の税金で食っているのだと言いたくもなる。)
(納税者に還元する際の発想の転換が必要で、大半がアマチュアであることを考えれば、おのずと官吏の目の付け所、予算を差配する際の考え方に変化や影響が出てくるものです。評価の固まった巨大な根無し草をどこかのコンペで大枚はたいて買ってきてひけらかし手柄にし自慢するのは、もはや恥ずかしいことなのです。)

選んだこの脚本は、「百姓のもちたるクニ」を平定し、御上の重役を我が藩に受け入れ、厚遇することで、中央の情報を得、百万石の加賀藩を安泰に導いてきたここ石川で上演するにはうってつけの道具立て。


今、世界ではトルコでは政変が企図され、フランスではCIAの下部組織が蛮行を策し、国内では大本営が復活しその政治宣伝が極めて洗練されたカタチで行われています。

哄笑で隠された向こう側で非道が行われているのです。


カッコつける必要はなく、むしろ赤裸々に。

声に出すことが恥ずかしくないことだということ。



芝居がキッカケになって「想う」ことを思い出せるかも知れません。

この芝居がキッカケになって「概念」をはずしてみることができるかも知れません。(少しネタバレ(_ _))


あれもこれも、自分が能動的に、そして「求める」とともに「譲る」をバランスさせることができれば、できるかも知れない。


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けいこばしばい
ホントに、いろいろあって、やぶにらみでドタバタして、きりきり舞いして、何やってんだろうって状態ですが、なんとか、皆さんのおかげで芝居ができます。
現在集まってきてくれているメンバーで考えた場合これが最善と思える選択したつもりです。
他にもあるのです(実現できていない作家の皆さんスミマセン1この場を借りてお詫び申し上げます。)。
まだまだ、やりこんでいきます。

ささやかな芝居ですが、これをもっていろいろなところへ入り込んでいこうと思います。

そして

芝居っておもしろいな。

これは使える


と思って戴けると嬉しいのです。



けいこばしばい

文字通り稽古場で芝居をうちます。
アトリエ公演というヤツですね。

三本のものを小一時間にまとめました。
仕事を持ってやっている。この街で生きながら、こういう活動をする。
実は芝居は、それ自体が社会的な活動なので、こんな活動が行われる街というのは、以外にも良いのかもしれません。

劇団110SHOW
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/isam/110show.html

金沢市神田2丁目5-20 〒921-8027

今日の19時からです。

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